【特別企画】携帯電話向けウェブブラウザー『サイトスニーカー』はこうして生まれた(開発秘話・前編)
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2005年06月10日
4月25日から1ヵ月間、ブログ連動の携帯電話向けフルブラウザー開発プロジェクト“携帯電話でパソコン用ウェブサイトを見よう! しかも無料で!!”が、(有)ユビキタスエンターテインメント(以下UE)によって行なわれた。期間中、UEが開発したHTML3.2準拠のウェブブラウザー『サイトスニーカー』(β版)が無料配布され、約3万2000人のユーザーがサイトスニーカーをダウンロード、同アプリケーションを通じて1日あたり6万ページへのアクセスがあったという。(株)アスキーはメディアスポンサーとして同プロジェクトに協力した。
ここでは同プロジェクトを総括するべく、UEの代表取締役社長である清水 亮氏が、『サイトスニーカー』がなぜ生まれて、そしてどこに行くのか自ら綴る。全2回の連載予定で、前編は『サイトスニーカー』が生まれるまでの開発秘話を紹介する。清水氏は1976年新潟県生まれの28歳、(株)ドワンゴ、米DWANGO North America社などを経て2003年に独立してUEを発起した。現在は4名の社員を抱えている。若手社長の奮闘ぶりをとくとご覧いただきたい。
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パソコン用ウェブサイトが見られるjavaアプリケーション『サイトスニーカー』。(株)エヌ・ティ・ティ・ドコモのiモード対応携帯電話用ソフトウェア“iアプリ”の規格に準拠し、mova/FOMAブランドの携帯電話で動作する(FOMA 700i/900i/901i/2102、mova 505i/506iシリーズ対応)。『サイトスニーカー』のβ版の配布は、本日17時再開予定 |
秋葉原にて――ウェブブラウザーが欲しかったワケ
僕自身が最初に携帯電話用ウェブブラウザーが欲しいと思ったのは、2004年の1月頃、秋葉原で買い物をしているときでした。
最近のパソコンの進化のスピードは速く、しばらくパソコンを組み立てないでいるとすぐに乗り遅れてしまいます。その日は最新のグラフィックカードを買おうと思って秋葉原のお店を物色していたのですが、ATIテクノロジーズやエヌビディア(NVIDIA)などのチップがいくつか並び、どれが最新か思い出せません。インターネットが使えれば、検索エンジンを使ってごく簡単にそれらの違いや自分のパソコンがどの規格を採用しているのか検索できるのですが、店の中でノートパソコンを開く勇気はありませんでした。「こういうとき、手軽に携帯電話から検索エンジンを使うことができれば、どんなに便利だろう?」
ソフト開発会社を経営している友達に携帯電話用ウェブブラウザーを作ってくれないかと頼んでみたのですが、「うちも今は余裕がない」と断られてしまいました。いっそ自分たちで携帯電話用のウェブブラウザーを作れないか、と思ったのですが、その当時はまだ会社を立ち上げたばかりで大変忙しく、断念せざるを得ませんでした。
“1日で1500万ダウンロード”の甘い罠(!?)
しばらくして、2005年の年末頃、携帯電話でパソコン向けのウェブサイトが見られるウェブブラウザーがいくつか登場してきました。その頃になると、僕の会社も人が増えてきて、若干の余裕が出てきました。
ことあるごとに会社の皆と飲んでは「僕らも自分たちでウェブブラウザーを作ってみたい」という話をしていました。それでもなかなか踏み出せなかったのは、やっぱりそれなりに忙しい日々が続いていたからでした。
最終的に僕らが背中を押されたのは、携帯用無料ブラウザーに関するあるニュースがきっかけでした。
“携帯用無料ブラウザー、サービス開始後1日で1500万ダウンロードを達成”
これを見た僕らは、あまりのことに驚愕を通り越して戦慄しました。
「1500万といったら、全携帯電話ユーザーの30%以上だぞ!?」
「それどころか、全対応機種(インターネット接続が可能な機種)の80%以上だ!」
「それは凄い!!」
ここまでビックリすると、次に僕らが思うことはひとつでした。
「やっぱり僕らも作ってみよう!」
柳の下には3匹ドジョウがいると言われます。
今から作れば、3匹目を捕まえることができるかもしれない、そういう淡い期待を込めて、しかし軽い気持ちで作り始めました。
「とりあえず、1週間だけ作ってみて、どこまでできるか試してみよう」
僕らは社長1人、社員3名の小さな小さな会社です。おのずと新しいことに挑戦するには限界がありました。
それでもなんとなく良いものが作れそうだ、という妙な自信だけはありました。それに、ちょうどその時は布留川英一(ふるかわ・えいいち)君という強力な仲間がやってきた頃でした。
僕が布留川君と最初に出会ったのは5年前に遡ります。
当時、携帯コンテンツプロバイダーの企画職にあった僕は、新しく登場するJava内蔵携帯電話向けのゲーム企画を暖めていました。しかし、2000年当時、携帯電話向けのJavaはおろか、そもそもJavaでゲームを作るなどという経験を持っていた人は全くと言っていいほどいませんでした。そんな中、苦労して見つけたのが布留川君でした。
彼はあるプログラミング専門誌に、Plamやザウルスといった組み込み機械向けのJavaを使ってゲームを作るという記事を何度か寄稿していました。彼はまさにそのとき作ろうとしていたJava内蔵携帯電話向けゲームの開発にうってつけでした(その後、布留川君は本を8冊著すほどの携帯電話アプリの第一人者になりました)。
僕が独立して1年半がたち、再び僕と一緒に新しい仕事をやってみよう、と布留川君がやってきてくれた矢先に、まさに冒頭のようなニュースを聞いたのです。もし、本当にこれだけの需要があるのならば、1500万人との報道が多少オーバーだったとしても、最低400万人くらいのユーザーはいるに違いありません。これでも膨大な数です。僕らは公式サイトを6年間やってきた経験から、ユーザーを10万人以上集めると、携帯電話のサイトであっても、いや、なればこそ、莫大な広告収入を得られることを体感的に知っていました。
「だとすれば、やってみよう」
とはいえ、携帯用のブラウザーを作るというのはそんなに簡単なことではありません。本気で作ろうとすればかなりの時間がかかることは明白でした。そこで期限を1週間と決めて、見込みがつかないようならばすぐにあきらめることにしました。
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